幸通りから富士見通りを横断して別府駅方面に進むと左手に「友永丈一君誕生地」という石碑が建っています。(石碑には「丈一」となっていますが「丈市」が正しいそうです。)wpid-wp-1461494813876.jpg

 

別府市出身の友永丈市海軍大尉(戦死後二階級特進して中佐)は、日米が戦ったミッドウェー海戦のとき空母「飛龍」乗組員で、ミッドウェー島攻撃隊長だったそうです。この海戦で日本海軍は虎の子の機動部隊を失い敗色が濃厚となりました。友永大尉もこの海戦で戦死しています。

この石碑の側を通る市道が拡幅されるため、最近、少しだけ移転されました。この拡幅工事が終わると九州横断道路から秋葉通りまで片側2車線の道路が通り抜けることになります。この道が完成したら教習コースや検定コースも見直しになるかも知れませんね。